11/12 仙台での2日目、だいぶ迷ったのですがやはり、海岸部へ出かけることとしました。
JR仙石線で陸前高砂駅からタクシーで高砂大橋の先「高砂橋」(上の地図①)で降り、川沿いに歩きました。
バス停留所も廃止でだれも歩いていません。しばらく歩いているとガードレールが曲がったりしていて、1階部分が流されてしまっている無人の家が続くようになりました。(地図②)
もっと進むと頑丈な建物以外は土台ごと流されています。防災センター跡がありましたが、2階建てで津波の高さがそれ以上とは想定していなかったことがうかがわれます。
海岸部に近くなった所に「野鳥と自然を友だちに」という標語をかかげた仙台市立中野小学校舎跡がありました。2階まで津波が押し寄せた様子がうかがわれます。3階屋上に190人がひと晩火災と余震に囲まれて避難されたいたそうです。避難所として指定されていた1階の体育館は大きく破壊されていました。
もう少し先へ進むともう何も建物は残っていなくて、皆さんが住んでいた建物の土台だけが残る広い土地が海岸まで続いていました。(地図④) 誰もいない無人のこの土地に人々のにぎわいが戻る日があるのだろうか、復興までの遠い道のりを茫然と見ておりました。
お地蔵さんが残されていて、まえに3つほどぬいぐるみが供えられていました。子どもたちが抱えていたのだろうと思えるおもちゃでした。孫娘の顔がだぶってしまい、カメラを構えることができませんでした。胸元でようやくシャッターを押しました。お地蔵さんの顔が映っていないのはそのことからです。
多くの悲しみを抱えた海辺ですが、帰りがけ松葉杖にはかせているゴムが擦り切れていまいましたので、歩くたび歩道との音でコツンコツンとお遍路さんの杖のように音がしました。帰りのバスがあるところまで往復5kmを鎮魂の歩きと思って歩かせてもらいました。
(記 広瀬 徹)